御香宮神社神幸祭・神輿出し2012・9・23

御香宮神幸祭は、伏見九郷の総鎮守の祭礼とされ、古来「伏見祭」と称せられ洛南最大の祭礼とされています。                      

昔、神輿は伏見九郷の各々一郷から1基づつで全9基ありましたが、現在は二代将軍・徳川秀忠が娘・千姫の誕生を祝い                

寄進したと言われる千姫神輿と氏子が、寄進した3基の神輿(現在も橘会、礼場会、六地蔵組によって各々3基の                     

神輿巡行されています)があります。御香宮神幸祭では、風流傘拍子物があり伏見では、別名「風流花傘祭」とも                     

言われています。昔、伏見九郷の村人達が風流傘を互いに競ったものが、現在に至り、御香宮神幸祭を                          

「風流花傘祭」と言われる所縁になり独特の囃子言葉「あ〜ら、うんよいよい!あ〜ら、うんとまかせ!」で                           

各町内〜御香宮迄を練り歩き厄を花傘に集め花傘を振る事で厄を振り払う厄払いの神事だと言われています。                     

(伏水物語様から引用させていただいています。ありがとうございます)

大鳥居です。
半世紀ぶりに新調された扁額(へんがく)です。
祭礼の告知板です。
今年は、7日が神幸祭です。
こちらは、表門です。

水戸藩祖、徳川頼房(副将軍水戸黄門の父)が、
伏見城の表門を拝領し当社に寄進されたものである。
軒下に大きな蟇股(かえるまた)が見えます。
蟇股(かえるまた)とは、屋根の荷重を柱や梁に効率よく
伝える構造材です。
上から受けた荷重を直接下に伝えるのでなく、
蛙が股を開いてしゃがんだ姿のように、二方向に伝えるのです。
この蟇股では、ほとんど装飾的な意味しかなく、
ちょうど欄間みたいなものですかねえ?
ただし造りは素晴らしく、桃山文化の代表作である。
この彫刻の題材は何れも中国二十四孝の訓話である。
左から、孟宗(もうそう)、唐夫人(とうふじん)、郭巨(かっきょ)、
楊香(ようこう)の順です。
(うしさんのHPより引用。ありがとうございます。)
割拝殿です。
紀州大納言「頼宣」(徳川御三家の一つの紀州藩祖)が、
寛永2年(1625)に寄進したものです。
元伏見城の「車寄」を割拝殿形式に
改造したものといわれてます。
(うしさんのHPより引用。ありがとうございます。)
こちらに、お神輿に使う、長柄が置かれています。
こちらには、台車が置かれています。
こちらには、お神輿に使用する、神輿台が置かれています。
社務所の中です。
鳥羽・伏見の戦いの名残です。
伏見城の瓦です。
こちらは、金箔瓦です。
さぞかし、豪華なお城だったと、想像できます。
歴史を感じます。
鯱もあったようです。
こちらは、本殿です。
神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇
ほか六神を祀っています。
裏門です。
もうすぐ、お祭りが始まります。
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